アスペ人間改造体験記1



私は現在38歳、1児の父親で某地方都市でをお稽古ごとの教室を営んでいる自営業者だ。病院でアスペルガーの診断を受けたことはないが、30歳の時ネットで発達障害の記事を見ていろいろ調べた結果まず間違いないだろうと確信した。

ちなみに妻と結婚する際アスペ持ちだと伝えたが、当時の妻はなんのことか分かっていなかった。結婚後NHK発達障害の特集を見て、私に「あなた絶対発達障害だと思うの。検査うけてみて?」と問い詰めてきたので、まず間違いないと思う。

余談だが、妻は図書館から10冊ほどのアスペや発達障害系、それと付き合い方の本を借りてきて、自分が読むべきところに付箋をつけるよう要求してきた。おかげでさらに詳しくなることができたのはよかった。


私の症状は多岐に渡るが、注意欠陥・多動性障害(ADHD) ・アスペルガー症候群
が特にひどかったと思う。あと、人の顔、名前がほんとに覚えれないのと、進学校から大学まで行ったが国語の偏差値が40を超えたことはない。なので文章が駄文で読みにくいのはゆるしてほしい。

過去形で書いているのは、治ったわけではなく思考や行動パターンなどの対処法を習慣化させることによりだいぶマシになったからだ。思考を行動パターンに習慣化させるのがあまりに難しく鬱を患ったことも機会があれば書きたいと思う。

 早速まず私が思うアスペ持ちが対人関係で問題を起こす最大の要因が、自分視点、自分ルールだ。

結論から解決方法を言えば、自分視点、自分ルールの底上げ。言い換えれば人間性のレベルの高い人間の視点思考を身に付ける(マニュアル化)ことだ。そのために必要なのが「メンター(師匠)と自分のことを理解してくれる良き相談相手だ。


自分の場合は、幼少期から親からも周りからも「またお前は!」「またあんたは!」「なんで、そうゆうことするの(言うの)!」「どうしておまえは!」など言われ続けているため、自己防衛の癖がついて言い訳と、小さな嘘、またはだんまりが習慣化されていて、理解してくれる人間がほとんどいなかった。
今では教育方法でいろんな本に発達障害の子の対処法などが書かれているが、当時は単なる問題児。ちなみに父親からは「こいつは阿呆」の烙印を押されたこともあるくらいその場で思いつくままに行動していた。後、基本困っている人がいれば助けたり、頼まれれば、なんでもしてあげてた優しい一面もあったが、それを利用するやつの存在にも気づきはじめ「利用されるのは嫌だ!」から「自分の得にならない事はしない」という思考に変化していく。その結果多くの人間関係を損得感情と好きか嫌いかその他大勢で判断するようになった。


 本来明るかった性格も中学ではいじめの的にもなり卑屈でコンプレッスの塊に。だれにも相談せずに一人で悶々と考えていた為、歪んだ自分視点がさらに強くなっていった。
 周りの奴はだいたい馬鹿か敵。あるいは羨望のまなざし見ていた。

高校に入るといじめはなくなったが、一度思考をこじらせていたため空気を読まない人の地雷を踏みまくる発言で友達と呼べるやつは2人しかいなかった。
当時の自分は自分が必要とされる人間になるとは考えたこともなかったし、自分が発言すると周りを不快にさせてしまうので会話に入らない、入っても会話についていけないので発言できない。だからなるべく一人でいる。という思考行動パターンになっていた。

大学に入るとサークルで先輩達に恵まれた。痛い行動や爆弾発言を面白いやつだといじってくれたのだ。同期からは煙たがれたがここには自分の居場所があった。
そこで久しぶりに人と話す楽しさ、人と関わる喜び、自分は居てもいいんだという自己肯定感が生まれた。
無邪気な子供の頃の自分を取り戻せて幸せな一年だった。

だが、先輩たちは引退し、卒業していく。そこには自分の居場所はなかった。

続く

はてなの使い方あまりわかってないので、なんかあったら教えてください。
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